年寄りじみていく・・・

一週間のうちの何日かは、自分のやるべき家事を手早く終わらせてから、駅前のスーパーに夕飯の材料を買いに行きます。ちょっと時間がある時は、ふらふらっと必ず立ち寄ってしまう店があります。それは、昔からある小さな書店で、入口そばの椅子にちょこんと座って、レジ番をしている老人がいるところで、なにもかもが古めかしく、それでいて、なんだか子供時代を思い出すような、古い記憶を辿るような、とっても落ち着く空間です。店内には何時も、お客さんが一人いるかいないかで、先日は、そこに並べてある書棚の横にあるものを発見しました。
昭和40年代頃のぬりえです。それも雑然と置かれているのです。もちろん未使用ですが、かなり劣化しています。古き良き昔のイラストは今とは全く違います。最近のアニメや漫画がいかに近代的かを実感します。ですが、可愛いのです。その頃にはその時の味があり、なんとも言えず良いのです。
現代の子供はぬり絵で遊ぶのかなぁ、と、ふと考えました。ゲームやいろんな娯楽があるからどうでしょう。色鉛筆やクーピー、クレヨンを持って机に座り一心不乱に色をつける姿というのは顕在なのでしょうか。友人で、絵を描くのが好きな人がいて、パソコンでSAIというソフトを使っています。ペンタブレットというものがあり、それで色を塗ったりしています。もしかしたら、現代の子は紙にではなく、コンピューターにペイントソフトを使って遊んでいるのかしら、と思うとなんとなく寂しい気持ちになりました。

本当は「山かけ」が食べたかった

落語を聞いた帰りに、立ち食い蕎麦が食べたくなりました。ちょうどその手のお店にはベテランの男性と一緒にいたので、連れて行ってもらうことに。一人で入るにはなかなかの勇気を要しますし、女性同士ではなんだか気が引けます。メニューは壁にかけてある木札で決めます。
「どうしようかな~」なんて悩む暇はございません! とでもいうように、店員さんがすかさず「何になさいますか?」と聞いてきます。「月見」と隣の彼。いつ決めたんだ!? と、私も焦って同じものをお願いします。と、次の瞬間には注文したものが私の目の前に! 早い。あっという間に出てきます。ふーっと息を吹きかけながら口に含みます。「う、美味しい!」空腹で外が寒いせいもありましたが、立って食べるそれは、かなりのお味です。こんなに手軽なのに、なぜでしょう。周囲を見回すと、サラリーマンだらけ。異性ばかりです。それらが一心不乱に、まるで取り憑かれたかのようにズズズッと吸いこんでいます。「ごちそうさま」と、同伴者。はやすぎる! 私も慌てて掻っ込みます。
よく、歴史小説を読むと、江戸の町人が「二八そば」を食べている描写があります。今日の寄席でも、「時ソバ」という演目を楽しみました。縄文時代から栽培されてきて、私達の生活に根付いている食べ物でもあり、私の好物。帰って調べてみると、最初は麺状ではなく、餅の形態だったのだとか。ううん、奥深いです。その歴史を調べたくなりました。

古風な自分がなんとなく好き

私の父方と母方、両方の祖母の本棚を見ると、その読書量にいつも驚かされます。そして、負けてはいられないぞ、という気になります。どちらもかなりの書痴です。元々、そういう家系で育ったからか、私も異様なぐらいに本の虫なのかもしれません。一緒に住んでいないので、たまに遊びに行くと第一声は「最近、なにか面白いの読んだ?」で始まります。
話は変わりますが、この前、20世紀からの全世界の歴史をドキュメンタリーとして放送していたテレビ番組を観たのですが、そこで、ラジオが普及しだした頃のアメリカの様子というのが映り、その大衆の熱狂ぶりに驚きました。今で言う「スマホ現象」のもっと苛烈したバージョンみたいなものでしょうか。一日中ラジオにかじり付き、自分の娘が井戸に落ちても聴くことに熱中しすぎて、三日間気付かなかったらしいのです。外に出れば「何か新しい事聞いた?」が会話のあいさつだったと紹介していました。「夏草や兵どもが夢の跡」と言った風に、今は大衆を魅了したそれもテレビの陰に隠れている感じがします。
時代は変わっても、古くからあるものを未だに好きでいる自分がちょっと好きだな、となんとなく感じました。世間の波に流されず、熱狂的に何かに夢中になれるというのは本当に好きなものであるに違いないのです。新しいものに興味を示すのは人間の習性かもしれませんが、古を偲ぶ美学を私は世界に訴えていきたいな、と夢のような事を思っています

大海原を生きている

「この時代が戦前と呼ばれないように」ある女性作家さんの言葉が私の胸の中ではじけます。戦争関連の読み物は辛く悲しく目を背けたくなりがちです。しかし、ぐっとこらえて今まで読んできました。ちょっとタブーのように扱われがちな気もしますし、私のような若輩の世間知らずが語る事はおこがましく、そんな事は出来ないのですが、自分の中で「こういう風に生きよう」と思う指標を探すつもりで目を通しています。
戦争小説といえば有名なものがたくさんあります。エンターテイメント色の強い荻原浩著の「僕たちの戦争」、浅田次郎「終わらざる夏」、大岡昇平の「野火」、井伏鱒二の「黒い雨」その他、さまざまな目線や視点から取り上げられているものが出版されています。
最近、遠藤周作の「海と毒薬」に目を通したのですが、膜を張ったような切なさを感じました。山本健吉が評論をしていて、それを読んで感じたのは、人生は川のように一本調子で同じ向きに流れていくものではなく、往ったり来たりしながらやがては霧散する海のようなものかもしれないなというものです。穏やかな流れに乗って生きられたらいいけれど、嵐は来るし、波は荒れる時もあります。
なんとなく、人間社会の情勢も自然の摂理の中のひとつなのかもしれないな、と感じる今日この頃です。もしもこの先、何が起こったとしても自分という個を無くさずに生きていきたいと思うのです。たとえ、小さな波の飛沫だとしても。

昼間っから一杯ひっかける夢

たまに、とてつもなく酒が飲みたくなる小説に巡り合います。今回読んだ原田マハ著の「風のマジム」もそのうちの一つでした。実話をもとに描いたサクセスストーリーなのですが、上質なラムを飲みたくなります。この元になった話というのも大変面白いので、ぜひ興味を持った方はネットで検索してもらいたいです。
アルコールは大好きですが、いかんせん弱いのがちょっぴり悔しいです。そして、どうしてもこういう話をすると、杉浦日向子さんの事を思い浮かべます。若くして亡くなられた江戸風俗研究家であり、漫画家さんである方なのですが、私は彼女のエッセイを好んでいて、特に酒に関するものがたまらなく好きなのです。
とても粋な方でした。文章も絵も味わい深く、若いのに、かなりのダンディズムを感じさせます。現代に生きながらも江戸っ子の風をふかせていて、今をもってもしても憧れています。私も彼女のようにスノップを感じさせない人柄で、一人で昼下がりの蕎麦屋で一杯ひっかけられるような女性になれる事を夢見ているのです。遺作に「百日紅」というとても有名な浮世絵師である葛飾北斎と彼の周囲に居る人々を独特なタッチで描いた漫画があるのですが、これも面白く、江戸時代好きにはたまらないですし、時代ものが苦手な方にも面白く読める内容になっています。

流星のような今は亡き若い天才を追う

この前、山口県を旅行した時に、長門市に立ち寄ったのでその流れで「金子みすゞ記念館」に行きました。本館と金子文英堂の再現、休憩室となかなか広く、見どころが沢山ありました。平日にも関わらず、若い方も年配の方もたくさん来場されていたのでファンが多いのでしょう。彼女の詩は震災の時によく耳にしました。「こだまでしょうか いいえ、誰でも」の作者です。私は詩には滅法疎くて、吉野弘の「夕焼け」、竹内浩三の「骨のうたう」、中原中也や萩原朔太郎の作品には感銘を受けた事があるのですが、それ以外はあまり知りませんでした。
まず、その生涯に同じ女として「寂しさ」を強く感じました。若くして亡くなった女性の複雑さを目の当たりにし、たじろぎました。人の一生を憶測する事はとても難しい事で、私のような若輩者には立ち入れない領域です。猛烈な切なさだけを抱えて、この館を後にしました。それから少し経ち、本を購入しました。
そこには優しい世界がひろがっていました。彼女の遺したものを一文字ずつゆっくりと味わいました。そして気がついたのです。それこそが、彼女と繋がる唯一の手段で、私の感じた「切なさ」の癒しなのだという事を。
遺した言葉には瑞々しい生命を感じました。小説とは少し違う、詩というものが発する命の鼓動を確かに感じたのです。

私だけではなかったことへの喜び

よく妄想をします。例えば、道を歩いているときに、前から強盗犯が駆けてくるのです。私は腰の脇から徐に日本刀を取り出し、すれ違いざまに峰打ちで仕留めます。追っていた警察官がのびた盗人にお縄を掛けながら、喜色を浮かべ、「かたじけない。いや、しかし、見事なお手前でござった。そなたの名前をお聞かせ願えるか」と、感極まった声で言うのです。拙者は懐手で「なぁに、名乗るほどのモンじゃございやせん。ただのしがない浪人でさァ」と答え、静かにそこを去ります。
この話をすると「病気だよ、本の読みすぎだよ」と友達は眉を顰めますが、こちらからすると、どうして生活の端々でそういう楽しみ方をしないのかがとっても不思議です。
思えば、ずっとそうでした。味気ない日常をこのようにして乗り越えてきました。現実世界でドラマは滅多に起こりませんから、想像するしかないのです。あんまり深く入りしすぎると、境目が分からなくなるので、適度なところで切り上げるのが肝心です。
ずっと孤独でした。そういう話をできる人がいないのです。「くだらない」と一笑されてそこで終わってしまいます。しかし、先日、ある作家さんのエッセイにこんな内容の事が書かれていました。「職場に悪の軍団がやってきて、自分が華麗に退治する妄想を出版社に勤めている時によくしていた」と。仲間がいました!
私は藁にもすがる思いで、仲良くなりたくて、ファンレターを送りましたが、返事は返ってきませんでしたので、この寂しさをやっぱり妄想で補っています。

プロの書店員との恋は儚い

大手の書店は品ぞろえが豊富で、配列も気を配り見ていてとても楽しいですね。数階建てのビル一つが全て書店だと、テンションも上がります。どの階で降りても目の前には本が行儀よく陳列されているのです。しかし、一つ難点があります。本がたくさんありすぎて自分の欲しい本が見つけにくいのです。しかし、その難点を覆す驚くべき出来事を耳にしました。私も自分の本棚のどこに何の本があるかは大体把握しています。しかし、それは所詮、家の本棚、冊数も限られます。書店の蔵書数は計り知れなく、毎日入れ替わりがおこる筈なのです。
友達の体験談です。彼女はその日、疲れていました。なぜかとても疲弊し、しかし持参してきた本は読み終わってしまっていました。帰途の途中に電車内で読む本を買うべく、大手の書店に入ったのです。最近は検索機という便利なものもありますが、それを操作するのも煩わしく、店員さんに「○○という本はどこにありますか?」と尋ねたのです。「少々お待ちください」と言われ、結構待たされるのだろうな、と思っていました。しかし、違ったのです。彼女が声をかけたのは若い書店員さんでした。その方は、白い歯を輝かし「こちらです」と颯爽と案内しはじめたのです。彼女は戸惑いました。尋ねた本はけっこうなマイナー本だったのです。しかし、彼は彼女の所望する本の前でピタッと立ち止まり「こちらですね」と美しい笑顔。瞬間、彼女は恋に落ちたそうです。なんたる職業魂、なんたる意欲、彼女は彼に「よく分かりますね」と感嘆の声をあげました。彼は照れるように笑って「こういうのゲームのようで楽しいんですよ。最近は全勝です」と、胸を張りました。胸のネームプレートには「ホンダ」と書かれていて、彼女は同士を見つけた悦びに武者ぶるいが止まらなかったそうです。
私は好奇心にかられ「そのあとどうなったの?」と彼女に尋ねましたが、彼女はふふふと笑って「何にもないわ」と、そこで話は終わりました。

長方形の本に疑問を抱く

巻物って、昔の本だろうか。そういう疑問が不意にわきました。紙がサランラップのようにグルグル巻かれているアレです。思えば、巻物といえば忍者、忍者といえば、戦国時代。江戸時代も忍者は存在したのかもしれませんが、江戸時代の本と言えば「和綴じ」。あと巻物と言えば写経です。広辞苑第六番で調べてみたけれど、その形状や用途しか記されていませんでした。こういう疑問はどうしても調べなければ気が済まない性格です。誰に尋ねれば快く教えてくれるのでしょうか。歴史研究家に聞いてみたいけれど、門前払いされそうな気がして怖いですよね。ネットの情報は信用していいのか悪いのかいまいち不確かですし。しかし、一番手っ取り早いのがネットです。間違っていてもいいから何かしらのヒントが欲しいと、「巻物」で検索してみました。膨大な情報が載っているサイトに「ハッ」する発見がありました。それは「巻数」「全巻」という言葉。これは何気なく使っていたけれど、思えばなんで「冊数」「全冊」じゃないのだろか、と目から鱗が落ちました。「巻く」という言葉。これは、きっと、そうだ。巻き物からきているに違いないのです。という事は、やっぱり日本の最初の本は巻き物だったのではないでしょうか。丸いものが読みやすさを重視し、四角になった。そうとしか考えられません。そして、ネットで調べていくうちに「書物の歴史」というサイトを発見しました。これは信用ができそうな気がします。いくつかの文献も紹介されていて、ついでに文字の歴史なども全て調べてしまおうと思い発注しました。こうやって専門書書籍が増えていくのです。私は自分の家が沈没しないか心配しながらも、今日も本を購入していくのです。

本が運ぶ結びつき

とても苦手な人がいました。しかしある時、その人と仲良くなりました。本のおかげです。こういう経験は割と誰でも体験できるのではないでしょうか。とても気難しくとっつきにくい人でも、好きな本の話をするときはその気難しさがポロポロと剥がれ、ただの一人の読書家になります。本の魅力は果てしないのです。私は本の貸し借りをして苦手意識を克服し、その人と仲良くなりました。第一印象が悪く、話も合わなかった人です。それでも、一緒にいなければならなかったのです。ある時、休憩時間に私が読書していると、いつも無駄話をしないその人に話しかけられました。「それ、面白い?」私は「面白いよ。終わったら読む?」と聞き返しました。その人は嬉しそうに微笑って頷いたのです。それがきっかけで、仲良くなる事ができました。
本が繋ぐ絆というのはあるのだと思います。私は小さい頃、母親によく読み聞かせをしてもらいました。その時の記憶はどんな思い出よりも温かいものです。辛い時も寂しい時も嬉しい時もいつでも想い出の端っこに本があります。人との触れ合いも本の知識が役に立つ瞬間が確かにあります。また物語にはいろんな性格の人物が登場します。そうすると、この人はあの登場人物みたいだな、と親しみもわきませんか?語彙も増えます。ユーモアのある話もできるようになります。他国の価値観も学べます。本にはありとあらゆるものが詰まっています。
人と人とをつなぐ読書。私は今日も本の多様性について考え、一人嬉しくなるのです。

自分の中のイメージを形にできる、読み手にも書き手にも人気の高い夢小説はいかが?