イタリアとの出会い

過去に録画した、イタリアが舞台の旅番組を見ています。日本よりも太陽が鮮やかに見えるのは、ここが見慣れない土地だからでしょうか。「チャオ!」と明るい人たちの笑顔も眩しく感じます。外国のことを書いたエッセイは、昔からよく読みます。イタリアを描いたものは多いですね。美味しそうなパスタにピッツァ、ワインにジェラード。本文を読むと写真がなくとも美味しそうなものが目に浮かび、ぐうっとお腹が鳴ったものです。それを今は映像で見ていますから、明日の夕食はパスタかな、なんて考えてしまうのも仕方がないことでしょう。文字から想像する楽しさや表現の美しさは、私にとって大きな魅力です。でもやはり、映像はインパクトが違います。本で読んで、画面で見て、最高ですね。できれば実際に行きたいところですが、なにせイタリアは遠い海の彼方。時間もお金もかかるので、そう簡単に飛び立つことはできません。それにしても……青い空の下に咲く綺麗な花、陽気な人々。本と画面からわかるイタリアは、とても楽しそうで、心がうきうきしてきます。日本の旅番組を見ると、なぜかしっとりした気持ちになるんですけどね。たぶん、私の知らない日本の歴史や文化を、垣間見るからだろうとは思っています。

しおりをたくさん持っている理由

この前お土産をいただいたのですが、その包装紙がとてもかわいかったので、それでしおりをつくりました。そうはいっても、二つに折って張り合わせ、それを適当なサイズに切っただけのものです。紙のサイズが大きくかなりの数ができたので、そのうちシールを貼ってみようと思っています。このくらいのしおりならばうっかり本に挟んだまま忘れてしまっても、なくしてしまっても後悔しないのでいいですね。前に人からいただいたしおりがどこかの本に入ったままになってしまったときは、最近読んだ本をすべて取り出して探したものです。何冊かを同時進行的に読んでいることも多いので、ついこうなってしまうんですよね。それは友達も同じようで、以前借りた本にしおりが挟まっていたのですが、それが相当大切なものだったらしく、借りて数日後に「しおりなかった?」と連絡が来ました。そう考えると、紐のしおりが付いている本というのはいいものですね。ハードカバー以外はあまりありませんが。最近は時間の関係で、漫画ですら読書を中断することがあるので、漫画にもつけてもらえるとありがたいです。でも基本、漫画は一気読みだと思いますから、難しいでしょう。そういうわけで、しおりは常にたくさん持っています。

少女に贈りたいリボンのしおり

読書をするとき、たいていの方はしおりを使うと思います。私も使います。本屋で貰った物、お土産で貰った物、バザーで買った物。いろいろありますが、紙で作ってある物がほとんどです。でも先日、リボンでできているしおりを見ました。紐ではないんですよ。幅広のリボンです。鮮やかな色をしたそれが、かわいらしい形をしているんです。鳥や動物の形のリボンがページの間から見える様子はなんともメルヘンチックで、私の中にある僅かばかりの乙女心をくすぐりました。知り合いの娘さんか、小さな女の子に贈りたいと思いましたね。それくらい素敵だったんです。そして昔、玩具の折り機でしおりを編んだことを思いだしました。なにせ幼い私がしたことですので、糸の引っ張りが一定でなくて、へろへろで歪なものでしたが、しばらく愛用していました。最近はしおりなんてどこまで読んだのかわかればいいのだとこだわっていなかったのに、急に、いろいろなタイプの物を集めてみたい、できることならまた自分で作ってみたいと思うようにもなりました。ハードカバーには大きいサイズ、文庫本には小さいサイズ。最初は紙をシールやスタンプで飾るだけでも十分でしょう。考えるだけで楽しくなってきます。

芸術が語る一瞬

古い時代の資料集を見る機会がありました。写真などない時代のことなので、参考として載っているのは全て絵です。当時の画家が描いた、見るも鮮やかな絵画たち。ふと、これはどんな気持ちで描かれたものなのかと考えてしまいました。今はデジタルカメラの使用が一般的ですから、必要なものはすぐに写真におさめ、気に入らなければ撮り直すことができます。しかし昔の画家はその状況を記憶にとどめ、自宅に帰ってから絵として再現するのですよね。絵の大きさによっては何か月もかかるかもしれません。ワンシーンを記憶をもとに、何か月もかけて描くのです。絵に描いている瞬間が画家の心の中で、何か月にも引き伸ばされる……とても不思議な気がします。しかもその絵は、長い時を越えて残り、未来の私たちに当時の状況を伝えてくれるのです。本は時代を超えると常々思っていましたが、違いますね。芸術の全ては時代を超えるのでしょう。逆を言えば、長く残るものには価値があるということです。まさか歴史の資料を見てそんなことを考えるようになるとは思いませんでした。学生時代は教科書で古いものをたくさん見ましたが、そんな気持ちになったことはありませんでしたもの。年月を感じる年齢になったということでしょうか。

家計簿を習慣にするために

母が家計簿をつけ始めました。私が日記を書き始めたときもそうでしたが、最初って習慣になっていないから、つい忘れてしまうんですよね。日記は記憶の関係で、私の中では遡れても昨日まで。しかし母の家計簿は買い物をしたときのレシートが残っていますから、古いものでも記入することは可能のようです。途中からそれに気付いた母は、何日分かをまとめて書くようになり……なんだっけ、と頭を抱えています。レシートは買ったものの名称すべてが印字されるわけではないので、見てもなにか思いだせないことがあるようなのです。家計簿は本屋では日記帳の隣に置いてあることが多いです。色々な種類があって面白いですね。中には毎日の欄にいろいろな雑学が載っていて、かなり読みごたえがありそうなものもあります。それは日記帳も同じで、一枚のカレンダーのようなページがメインのものや、一日一ページという大きなもの、一日のタイムスケジュールを管理できるもの、さらには雑学の有り無し等々、本当に多くの中から選ぶことができるようになっています。家計簿をつけることが苦痛なら読んで楽しいものにすればいいのにと思います。やはり楽しいことでないと、続けるのは難しいですからね。

同じジャンルの本を十冊読め!

調べ物をするときに、その特定のジャンルの本を最低三冊、できれば十冊読めと言われました。純粋なデータとしての数字ならば誰が書いたものを読んでも変わらないけれど、個人的な意見が含まれたりするもの、あるいは意見まではいかなくとも数字以外のものは人によって変わるからだというのです。十冊……なかなか厳しいですよね。でも一冊だけ読んで鵜呑みにするのはいけないと、確かに前から思っていました。読書を楽しむためならば、もちろん一冊で十分。しかし知識として仕事で使う場合は、正確さと平等さが求められることが多いでしょう。それならたくさん読むに越したことはないんですよね。そういった場合、私は図書館に行ってずらっと本を借りてきます。選ぶポイントは内容はもちろんですが、初心者用から難しいものまでをバランスよくというのも大事です。いきなり難しい本は読めませんから、最初は概要的な簡単なものを、そこからだんだん専門的なものを読んでいくのです。学校の勉強と同じですね。時間はかかりますが、その方が絶対理解度も高く、頭に残ります。苦手分野は絵本からなんてこともあるんですよ。でもそのうち、文字のたくさん並ぶ本も読めるようになるんですよ。

本で作った本棚のある部屋

部屋の隅に本を積み上げているのが嫌になり、本で棚を作りました。あまり読まない本を柱にして、その上に板を置いて、即席の本棚です。積み木を積み上げたような状態ではありますが、これでただの山積みではなくなりました。見た目的にもちょっと棚っぽいし、きちんと整理ができる日まではこのままにしようと思います。昔、パズルみたいな本棚を見たことがあります。縦に横にと隙間なくきれいにぴっちり並べられた本。どうやったら中の一冊を抜けるのだろうと、考えてしまうレベルでした。収納は空間も必要、と片付けの本には書かれていますが、真逆の整理の仕方に、すいぶん感心したものです。基本的に自分の部屋や家など、他人に迷惑のかかる場所でないならば、空間をどんなふうに使っても問題ないと、私は思います。地震が起きたときに危ないですから、対策だけは気をつけなくては。考えることはその位ですね。そのせいで私の部屋はいま倉庫のようになっていますが、まあこれもご愛嬌。そのうちしっかり片付けますよ。本が多すぎるのがいけないのです。レンタル倉庫でも借りたいくらいですが、そうすると倉庫に入れている本は読まなくなるものらしいので、なんとか自室内で片付けます。

悩み事相談は二次元でします

昨夜友達と電話をしていてうっかり遅くなってしまい、今朝は見事に寝坊しました。この鳴っているのって何の音だろう。目覚ましの音を聞きながら、そんなことを考えてしまう程度には寝ぼけていましたね。朝の数分は貴重なのに!友達はちゃんと起きれたのかしら。確認する余裕もありませんでした。学生時代はこんなことはよくありましたが、社会人になってからは珍しいことです。互いに仕事があるから気をつけますもんね。それに思春期独特の答えの出ない悩みもありませんし。大人になっても問題ごとはありますが、答えは自分で持っていることに気づいていたりもしますから。かく言う私も、成長するにつれ、お悩み相談の相手は人から本に変わりました。別に人生指南書とか読むわけではありません。日常に読む小説の中にだって名言は転がっているものです。二次元の話が三次元で生きるわけがないと言われることもありますが、もとは三次元に生きる作家さんが書いているのだから、共通することはあるに決まっていると言うのが私の意見です。歩けない人にリハビリをしなさいと言うよりも、クララが立ったシーンを見せた方が効果的と思うというのと同じです。って、え?もしかして私、変わってますか?

電子か紙かの使いわけ

最近、電子書籍を活用しています。本当は紙媒体のほうが好きなのですが、どうしても今すぐ読みたい!というときや、これを本屋で買うのはちょっと……というときに便利です。要は使いわけですね。本当は、電子書籍しか買わないっていうのもありだと思います。そうすれば本の置き場に困ることはないし、重い鞄を持ち歩くこともありません。文字が小さいと思えば画面上で大きくできますし。紙の本だとそうはいきませんよね。数が増えれば専有面積も増え、常に読みたいとなれば、当然鞄も重くなります。文字が小さいなと感じても、大きくすることもできません。わかってるんです。でも私、やっぱり本棚に本が並んでいるのが好きなんです。色もサイズもばらばらでいい。自分の好きなものに囲まれているっていうことに、安心感があるんです。机の横にお気に入りの本を立てかけているんですが、それは気分によって変わるんですよ。見るとなんとなく、元気になります。それこそ絵本しか読めない小さなころから、本は常に近くにありました。テレビもゲームも苦手だったけれど、読書だけは大好きでした。だからかな、手に届くところにあると安心するのは。だから電子書籍を活用しつつ、紙媒体も大事にしたい。どちらもなくならないように、出版業界の方にはがんばってほしいです。

小さなことでも経験大事

久しぶりに取りだしたCDを聞いてうきうきしています。珍しく、ヘッドホンで聞いているんですよ。好きな歌手の声を耳元で聞くって素晴らしいですね。まるで自分のためだけに歌ってくれているみたいです。ってこんなことを言っているから、単純な子だねえなんて笑われてしまうんですね。でもこんなに簡単に楽しい気持ちになれるんだったら、笑われたって構いません。しかし悩みはあるますよ。たとえばキーボードを使っていると、指先が痛い、とかね。仕事で突き指でもしたのかしら。地味な痛みではありますが、長文を打つとなかなかに気になります。仕方がない、今晩は湿布を貼って寝ることにしましょう。湿布って手に貼ると目が触れないから嫌なんですけどね。目を触るのが私の癖なんです。でも湿布をしたときは触ってしまうとさあ大変!しみて涙がとまらなくなります。そうそう、顔に怪我をして消毒液をつけたときは最悪でした。そんなに近いわけではなかったのに、目にしみてしみて。涙が止まらない。すぐに顔を洗ってもしばらくは目をあけることすら困難でした。まあそれで、顔の消毒厳禁と知ったんですけどね。そもそも日常で顔にけがを負うことは少ないとは思いますが、まあ知らないより知っていた方がいいことでしょう。何事も経験ですね、本当に。

自分の中のイメージを形にできる、読み手にも書き手にも人気の高い夢小説はいかが?