あなたと本屋で会いたいの

人と遊んだり会ったりする時に、どうしてもどちらかに待つ時間があると思います。相手もそうですし、もちろん自分も「まだかなぁ」とぼうっとする時がありますね。一分や二分といった、とっても短い間でしたらいいのですが、不慮の出来事が起きてしまうことも不確かな世の中ですから往々にしてあります。例えば、電車の遅延や家庭の事情などなど時には寝坊をしてしまうこともあるでしょう。そんな時、何もない場所だとイライラしたり、退屈になってしまいます。関係性が悪くなってしまうこともありますよね。
ですから、落ち合う場所は楽しい場所がいいです。相手が来なくても苦にならない空間。そんなところを使えば、私も相手もハッピーになれます。そんな場所あるの?という声が聞こえてきそうですが、あるんです。それは「図書館」もしくは「本屋」ここでしたら、様々なジャンルのものがありますし、とても使いやすいところでもあります。何より間違えにくいですよね。
惹きつけられる本があったら、空白タイムが出会いのひと時になることも!ぜひぜひ、友人、知人や初めて合う人でも「書店で会いましょう」と言ってみてはいかがでしょうか。これはとても良いアイデアだと思うのです。

どちらもステキです!

物語もとても素晴らしいものが多いのですが、事実は小説よりも奇なりということわざがあるように、現実に起きる出来事もとてもロマンチックなものが多いのだと感じています。それは、誰にもあるはずで、感じ方、視点の角度によっていくらでも話の中の主人公になれるのです。なんでもない、と思っていても、違う角度からみてみると、涙が溢れるような、感情が波打つような素晴らしいストーリーであるかもしれないのです。
先日、ある雑誌の喫茶店の記事を読み、感動して泣きました。時代背景から漂ってくる殺伐としたモノ、だからこその凛とした命、漂ってくる焼き鳥の匂い、人との交流。ほんとうに愛を知って孤独を知っているからこその「気遣い」。ホンモノを知っている人は、他人に対してとても優しくなれるのです。そして、人々から愛され、関係はずっと続いていきます。
なんでもないことが実は壮大なドラマで、嘘偽りがないからこそ、美しく輝いていきます。創作も素晴らしいものがたくさんあります。作られたからこその素晴らしさ、というのもあり、フィクション、ノンフィクションどちらも最高な味があり、知れば、人生に彩りを与えてくれます。その楽しみはいつも格別なものを与えてくれます。

なんでもいいから読みたい

この前、とあるインターネット調査サイトを見ていたら、千葉県が読書購入で全国ナンバー1だと知って驚きました。大都会で巨大書店がいくつもある東京かと思っていたからです。最下位は沖縄で、これは書店の数にも比例しているのではないか、と考えています。これは紙を対象とした調査結果なので、もしかしたら電子書籍では他のところの方が上回っているかもしれません。私の周囲ではデジタルは賛否両論ですが、海外によく行く人なんかは、「これがあれば全国どこでも日本の本を楽しむことができるので、そういった意味ではとても役に立つものです。それに、嵩張ってしまうのがコンパクトに集約されている。物を置くスペースが持てない人、お年寄りなんかは文字を大きくして読むことができるから、一概に悪いものではないのだと思うんだけどな」と仰っていました。確かに、と私も思います。
今までずっと紙に接してきたから、とてもこのカタチが愛おしく、好きなのですが、時代は変わります。
どんな風に変化を遂げても、物語が好き、活字が好き、その気持だけは変化しないで大事に持って行きたいです。そして、絶版になったものはもうこの際、形状のワガママを言いませんから、データにして見せて欲しいです。お願いします。

コンビ愛を感じた時

焼き鳥とビールは最高の組み合わせです。特に夏、働いたあとの一杯は最高の楽しみてす。このように、世の中には一緒にすると、とても良くなるものがございます。たとえば映画とポップコーン、ワインとチーズ、パンとバターのように。小説にも、もちろんこれがあって、たとえばサスペンスには公共の乗り物乗車中、ラブストーリーは公園のベンチ、アクションは自宅のベッドの上、叙情には夜明け、などです。読み物が好きな人には自分なりのこだわりが存在するのです。
先日、従兄弟の家に遊びに行った時の事です。なんと、本を椅子のガタガタ防止に使用していて驚きました。「なんでこれを?」と聞くと、一番手頃だったからとの答え。まぁ、使い方は人それぞれだよね、とその時は話が終わったのですが、よくよく考えてみると、イスの材料も元を正せば木です。確かに用途は違いますが、こうするのは、そんなに悪い事のような気がしません。役立っているのだから、いいのかもしれないな、と思ったのです。
価値観は人それぞれだな、と思いました。紙不足になったら、書籍から千切って鼻をかむかもしれないし、炎の燃料にする日だって訪れるかもわかりません。きっとそうです。ですから、こういう文庫本とチェアーという異色のコンビも時にはありなのかもしれません。

いいもの、わるいもの

「面接」というのは今まで生きてきて何回か機会がありました。たとえば、学校、バイト、就職と。何かに加入する時にはほとんどの場合に行われます。そこでは必ずと言っていいほど「好きな本はなんですか?」と聞かれる・・・とまではいえませんが、結構な割合でこの質問を受けることがあると思うのです。
答えは事前に用意していますから、本番ではペラペラ喋れるのですが、原稿を用意するまでが大変です。ありすぎて選べません。好き、といってもその中で種類があります。単純な面白さ、考えさせられるモノ、続々するような感覚を味わえる、落ち込んだ時に慰めてくれる、など。その時で変わってくるのです。ですから、一つに絞るというのは私にとっては、とてつもない苦行です。しかし、絞らなくてはいけません。そして、立派なものを主張しなければいけません。ここの兼ね合いがとてもむずかしいのです。
たくさん書籍と関わってきましたが、接すればそうするほど、「何が一番いいものなのか」が分からなくなります。何を持って「良い」のかが、難解なのです。これは感覚の違いもあると思います。人は感性をもっていますから、私が良いと思っても、他の誰かは「悪い」とします。だけど、幅は広げていきたいな、と漠然と思っているのです。

夢は繰り返す

早い展開、予想を超える物語、スリルのある小説は先を読むのがとてもドキドキし、まるで自分がその中にいて、同じように息を呑んで、行動しているような気分になれるのです。その迫力に気圧されます。
昔は読んで数日間はその主人公になりきったつもりで、たとえばスパイものだとしたら、銃を構え、周囲を注意深く見回し、素早い身のこなしの動作を試してみたりすることを子供の頃はしました。いまではさすがにそんな遊びはしませんが、名残が残っているのか、とてつもなくやってみたくなります。
忍者ものなんかも夢中になって貪り読んできました。手裏剣は本気になって学びたいほどで、あの衣装も欲しかったのを覚えています。食事も特殊なので、母によく「作って」と強請り、頭を抱えさせました。
やっぱり私の歩いてきた人生には物語の影響が色濃く出ていて、幼い頃から、そういったちょっと変な嗜好があったのです。ですから、自分が特別ではないと気付いた時はとてつもなくショックを受けたのを覚えています。空を飛べたり、屋根の上を縦横無尽に駆け巡ったりできない普通の女の子だと理解した時、私は一時期、空想の世界から脱出し、現実を見据えましたが、時代は繰り返すように、今、ちょっとずつ戻りつつあるようです。

同胞意識が芽生えた話

小説に載っているレシピで料理を作ってみたのですが、どうしても上手くいきません。登場人物はあんなに美味しそうに作っているのになぁ。と思いながらも再挑戦。「うーん、なんかこれじゃない感」どうしても作品通りの味にはならないのです。描写は「とろとろしてて、ふわふわ。口の中へ入れるとツルンとしてとても美味」らしいのですが、どう頑張って感じてみても、なんだか「ザラザラしている」としかならずにがっかりしてしまいます。
作り方や材料も同じようにしているのになァ。と思いながらも首をひねっていました。すると、ある時、小説を元にした料理本が出版され、早速買ってみました。その通りクッキングすると、本当にキャラクターの感想とそのまんまのものが出来上がって大喜びしました。なるほど、混ぜるのが足りなかったんだ。と、反省しました。読み落としていたのです。
どうしても、近い気持ちになりたくって、板前さんの物語とかを読むと、作ってしまうのです。そして、その世界観に浸ってしまいます。「変な趣味かも!?」と思っていたのですが、先日、動画サイトを巡っていると、同じことをしている方がいて「やっぱり仲間がいた! やるよね!」と思い、勝手に同胞意識が芽生えました。

しっとり楽しく一人旅

この前、ちょっとした一泊二日の小旅行に行きました。日頃の疲れを癒やそうと、選んだ場所はちょっと駅から離れた場所にあるこじんまりとした古風な旅館です。和風の美しい作りで、露天風呂付き。歴史は感じるけれど、手入れは行き届いていて、地元野菜を使ったお料理は心が込められて豪華でとっても美味しくて、量が多かったのにビックリして「こんな食べられない!」と声をあげていましたが、ペロリと平らげてしまうほどでした。
遅めの夕食を終わらせ、いそいそと向かう先は貸し切りの温泉です。効能をチェックし、持参の読み物を片手に、いざ。湯に浸かりながら本を読もうと思ったら、三十分が限界でした。熱めの温度にクラクラに。それに紙が湯気でへにょへにょになってしまいます。「やっぱりダメだったか」と苦笑し、身体を拭いて、着物に着替え、冷たいお水をぐいっと呑んで、今度は足湯に。リラクゼーションチェアがあり、そこに半分横になる感覚での読書タイム。
気付いた時には最後まで読破していて、周囲に人気はなくひっそりとしていました。手元の灯りを絞ると、星がとても綺麗に輝いています。無音の世界に一人でぽつんとしています。「ああ、なんか、いいなぁ」とやっぱり海外よりも国内のしっとりした旅が私には会うみたいです。

オンリーラブのブックがあれば

子供の時からずっと読書が好きですが、ここまで変わらずに「自分のベストがこれ! もう、これ! この一冊しかない」というものは無いな、という気がしています。もちろん、色褪せない名作は沢山あるのですが、自分の中で「生涯かけてオンリーラブ」的なものは無いように思います。年齢とともに絶えず嗜好は変化していくのです。止めようがなく、どんどん新しいものを吸収し、その時々で好みが違います。それは、寂しいことのようにも思いますが、読む力の成長の過程なのかも、と考えたりもするわけなのです。「不変的なものなんてないんだ!」といった感じに。
ずっとそう思ってきたので、Sさん(仮名)との出会いは衝撃的でした。彼女は物心ついた時からずっとこれまで一つの物語を愛し続けてきたらしいのです。それはある童話のような海外のお話なのですが、年をとる度に発見があり、此の先も永遠にそれが不動の地位にあると宣言しています。なんたる自信なのでしょうか。しかし、かれこれ二十年以上そうなのですから、信ぴょう性はあります。なんだかとても羨ましい気もします。
移ろい行く私の感性と、彼女の対比をしていくとキリがないけれど、そういう物があってもいいな、という気がします。

年寄りじみていく・・・

一週間のうちの何日かは、自分のやるべき家事を手早く終わらせてから、駅前のスーパーに夕飯の材料を買いに行きます。ちょっと時間がある時は、ふらふらっと必ず立ち寄ってしまう店があります。それは、昔からある小さな書店で、入口そばの椅子にちょこんと座って、レジ番をしている老人がいるところで、なにもかもが古めかしく、それでいて、なんだか子供時代を思い出すような、古い記憶を辿るような、とっても落ち着く空間です。店内には何時も、お客さんが一人いるかいないかで、先日は、そこに並べてある書棚の横にあるものを発見しました。
昭和40年代頃のぬりえです。それも雑然と置かれているのです。もちろん未使用ですが、かなり劣化しています。古き良き昔のイラストは今とは全く違います。最近のアニメや漫画がいかに近代的かを実感します。ですが、可愛いのです。その頃にはその時の味があり、なんとも言えず良いのです。
現代の子供はぬり絵で遊ぶのかなぁ、と、ふと考えました。ゲームやいろんな娯楽があるからどうでしょう。色鉛筆やクーピー、クレヨンを持って机に座り一心不乱に色をつける姿というのは顕在なのでしょうか。友人で、絵を描くのが好きな人がいて、パソコンでSAIというソフトを使っています。ペンタブレットというものがあり、それで色を塗ったりしています。もしかしたら、現代の子は紙にではなく、コンピューターにペイントソフトを使って遊んでいるのかしら、と思うとなんとなく寂しい気持ちになりました。

自分の中のイメージを形にできる、読み手にも書き手にも人気の高い夢小説はいかが?