長方形の本に疑問を抱く

巻物って、昔の本だろうか。そういう疑問が不意にわきました。紙がサランラップのようにグルグル巻かれているアレです。思えば、巻物といえば忍者、忍者といえば、戦国時代。江戸時代も忍者は存在したのかもしれませんが、江戸時代の本と言えば「和綴じ」。あと巻物と言えば写経です。広辞苑第六番で調べてみたけれど、その形状や用途しか記されていませんでした。こういう疑問はどうしても調べなければ気が済まない性格です。誰に尋ねれば快く教えてくれるのでしょうか。歴史研究家に聞いてみたいけれど、門前払いされそうな気がして怖いですよね。ネットの情報は信用していいのか悪いのかいまいち不確かですし。しかし、一番手っ取り早いのがネットです。間違っていてもいいから何かしらのヒントが欲しいと、「巻物」で検索してみました。膨大な情報が載っているサイトに「ハッ」する発見がありました。それは「巻数」「全巻」という言葉。これは何気なく使っていたけれど、思えばなんで「冊数」「全冊」じゃないのだろか、と目から鱗が落ちました。「巻く」という言葉。これは、きっと、そうだ。巻き物からきているに違いないのです。という事は、やっぱり日本の最初の本は巻き物だったのではないでしょうか。丸いものが読みやすさを重視し、四角になった。そうとしか考えられません。そして、ネットで調べていくうちに「書物の歴史」というサイトを発見しました。これは信用ができそうな気がします。いくつかの文献も紹介されていて、ついでに文字の歴史なども全て調べてしまおうと思い発注しました。こうやって専門書書籍が増えていくのです。私は自分の家が沈没しないか心配しながらも、今日も本を購入していくのです。

本が運ぶ結びつき

とても苦手な人がいました。しかしある時、その人と仲良くなりました。本のおかげです。こういう経験は割と誰でも体験できるのではないでしょうか。とても気難しくとっつきにくい人でも、好きな本の話をするときはその気難しさがポロポロと剥がれ、ただの一人の読書家になります。本の魅力は果てしないのです。私は本の貸し借りをして苦手意識を克服し、その人と仲良くなりました。第一印象が悪く、話も合わなかった人です。それでも、一緒にいなければならなかったのです。ある時、休憩時間に私が読書していると、いつも無駄話をしないその人に話しかけられました。「それ、面白い?」私は「面白いよ。終わったら読む?」と聞き返しました。その人は嬉しそうに微笑って頷いたのです。それがきっかけで、仲良くなる事ができました。
本が繋ぐ絆というのはあるのだと思います。私は小さい頃、母親によく読み聞かせをしてもらいました。その時の記憶はどんな思い出よりも温かいものです。辛い時も寂しい時も嬉しい時もいつでも想い出の端っこに本があります。人との触れ合いも本の知識が役に立つ瞬間が確かにあります。また物語にはいろんな性格の人物が登場します。そうすると、この人はあの登場人物みたいだな、と親しみもわきませんか?語彙も増えます。ユーモアのある話もできるようになります。他国の価値観も学べます。本にはありとあらゆるものが詰まっています。
人と人とをつなぐ読書。私は今日も本の多様性について考え、一人嬉しくなるのです。

読書の道は優しい道

市街を歩きながら本を読むことがあります。これを私は「二宮金次郎風読書」とよんでいます。前が見えないので危ない。そういう声もありますが、やめられないんです。もちろん、車の通りの激しいところではやりませんし、人ごみの多いところでも慎みます(本当はやりたいが我慢しているのですが)。人の少ない道で、のんびりと歩ける道でやるのです。これが、とてもいいんです。足を動かして読書をすると、脳が活性化するためか頭に入ってきやすいですし、なにより、歩くことに退屈しません。目的地の前で顔をあげると「え?もうついたの!」なんて思うこともあります。本を読んでいる最中、鳥の声が聞こえたりします。読んでる本から顔を上げ、木の上の鳥を探します。こんな光景を想像してみて欲しいです。たまらなくないですか?まるで、本の中に迷い込んだ気がします。即席アン・シャーりー(赤毛のアン)気分です。
歩きながら読書。本当は、足元が見れないから危ないし、止めたほうがいいんだろうとも思います。ですが、欲求に負けてしまうのです。人気の少ない公園でやりますから、勘弁してもらえないでしょうか。スマホなんかを弄っているよりは見た目もいいと思うんですが、どうでしょうか。
そこで、こんなことを考えてみました。「歩きながら読書道」という道を作ってみたらいかがでしょう。地面は、柔らかくよく慣らされた、歩きやすい土の道で、両側には街路樹が植わっています。一方通行で、片側が二車線ならぬ二歩線。前の読書人を追い越すときは右の歩線(車線)へ移動します。熱中しすぎて前の人とぶつかったら、頭を下げて、「今、これを読んでいるのです。とても面白くて追突してしまいました」「なになに、そんなに面白いのですか。僕も読んでみようかな。題名を控えてもいいですか?」なんて会話が繰り広げられたりするのです。こんな会話ができるだなんて、争いのない幸せな世の中になると思いませんか?
私は、読書に優しい日本になるよう、こういう発想を持って世界と向き合いたいと思っています。

イタリアとの出会い

過去に録画した、イタリアが舞台の旅番組を見ています。日本よりも太陽が鮮やかに見えるのは、ここが見慣れない土地だからでしょうか。「チャオ!」と明るい人たちの笑顔も眩しく感じます。外国のことを書いたエッセイは、昔からよく読みます。イタリアを描いたものは多いですね。美味しそうなパスタにピッツァ、ワインにジェラード。本文を読むと写真がなくとも美味しそうなものが目に浮かび、ぐうっとお腹が鳴ったものです。それを今は映像で見ていますから、明日の夕食はパスタかな、なんて考えてしまうのも仕方がないことでしょう。文字から想像する楽しさや表現の美しさは、私にとって大きな魅力です。でもやはり、映像はインパクトが違います。本で読んで、画面で見て、最高ですね。できれば実際に行きたいところですが、なにせイタリアは遠い海の彼方。時間もお金もかかるので、そう簡単に飛び立つことはできません。それにしても……青い空の下に咲く綺麗な花、陽気な人々。本と画面からわかるイタリアは、とても楽しそうで、心がうきうきしてきます。日本の旅番組を見ると、なぜかしっとりした気持ちになるんですけどね。たぶん、私の知らない日本の歴史や文化を、垣間見るからだろうとは思っています。

しおりをたくさん持っている理由

この前お土産をいただいたのですが、その包装紙がとてもかわいかったので、それでしおりをつくりました。そうはいっても、二つに折って張り合わせ、それを適当なサイズに切っただけのものです。紙のサイズが大きくかなりの数ができたので、そのうちシールを貼ってみようと思っています。このくらいのしおりならばうっかり本に挟んだまま忘れてしまっても、なくしてしまっても後悔しないのでいいですね。前に人からいただいたしおりがどこかの本に入ったままになってしまったときは、最近読んだ本をすべて取り出して探したものです。何冊かを同時進行的に読んでいることも多いので、ついこうなってしまうんですよね。それは友達も同じようで、以前借りた本にしおりが挟まっていたのですが、それが相当大切なものだったらしく、借りて数日後に「しおりなかった?」と連絡が来ました。そう考えると、紐のしおりが付いている本というのはいいものですね。ハードカバー以外はあまりありませんが。最近は時間の関係で、漫画ですら読書を中断することがあるので、漫画にもつけてもらえるとありがたいです。でも基本、漫画は一気読みだと思いますから、難しいでしょう。そういうわけで、しおりは常にたくさん持っています。

少女に贈りたいリボンのしおり

読書をするとき、たいていの方はしおりを使うと思います。私も使います。本屋で貰った物、お土産で貰った物、バザーで買った物。いろいろありますが、紙で作ってある物がほとんどです。でも先日、リボンでできているしおりを見ました。紐ではないんですよ。幅広のリボンです。鮮やかな色をしたそれが、かわいらしい形をしているんです。鳥や動物の形のリボンがページの間から見える様子はなんともメルヘンチックで、私の中にある僅かばかりの乙女心をくすぐりました。知り合いの娘さんか、小さな女の子に贈りたいと思いましたね。それくらい素敵だったんです。そして昔、玩具の折り機でしおりを編んだことを思いだしました。なにせ幼い私がしたことですので、糸の引っ張りが一定でなくて、へろへろで歪なものでしたが、しばらく愛用していました。最近はしおりなんてどこまで読んだのかわかればいいのだとこだわっていなかったのに、急に、いろいろなタイプの物を集めてみたい、できることならまた自分で作ってみたいと思うようにもなりました。ハードカバーには大きいサイズ、文庫本には小さいサイズ。最初は紙をシールやスタンプで飾るだけでも十分でしょう。考えるだけで楽しくなってきます。

芸術が語る一瞬

古い時代の資料集を見る機会がありました。写真などない時代のことなので、参考として載っているのは全て絵です。当時の画家が描いた、見るも鮮やかな絵画たち。ふと、これはどんな気持ちで描かれたものなのかと考えてしまいました。今はデジタルカメラの使用が一般的ですから、必要なものはすぐに写真におさめ、気に入らなければ撮り直すことができます。しかし昔の画家はその状況を記憶にとどめ、自宅に帰ってから絵として再現するのですよね。絵の大きさによっては何か月もかかるかもしれません。ワンシーンを記憶をもとに、何か月もかけて描くのです。絵に描いている瞬間が画家の心の中で、何か月にも引き伸ばされる……とても不思議な気がします。しかもその絵は、長い時を越えて残り、未来の私たちに当時の状況を伝えてくれるのです。本は時代を超えると常々思っていましたが、違いますね。芸術の全ては時代を超えるのでしょう。逆を言えば、長く残るものには価値があるということです。まさか歴史の資料を見てそんなことを考えるようになるとは思いませんでした。学生時代は教科書で古いものをたくさん見ましたが、そんな気持ちになったことはありませんでしたもの。年月を感じる年齢になったということでしょうか。

家計簿を習慣にするために

母が家計簿をつけ始めました。私が日記を書き始めたときもそうでしたが、最初って習慣になっていないから、つい忘れてしまうんですよね。日記は記憶の関係で、私の中では遡れても昨日まで。しかし母の家計簿は買い物をしたときのレシートが残っていますから、古いものでも記入することは可能のようです。途中からそれに気付いた母は、何日分かをまとめて書くようになり……なんだっけ、と頭を抱えています。レシートは買ったものの名称すべてが印字されるわけではないので、見てもなにか思いだせないことがあるようなのです。家計簿は本屋では日記帳の隣に置いてあることが多いです。色々な種類があって面白いですね。中には毎日の欄にいろいろな雑学が載っていて、かなり読みごたえがありそうなものもあります。それは日記帳も同じで、一枚のカレンダーのようなページがメインのものや、一日一ページという大きなもの、一日のタイムスケジュールを管理できるもの、さらには雑学の有り無し等々、本当に多くの中から選ぶことができるようになっています。家計簿をつけることが苦痛なら読んで楽しいものにすればいいのにと思います。やはり楽しいことでないと、続けるのは難しいですからね。

同じジャンルの本を十冊読め!

調べ物をするときに、その特定のジャンルの本を最低三冊、できれば十冊読めと言われました。純粋なデータとしての数字ならば誰が書いたものを読んでも変わらないけれど、個人的な意見が含まれたりするもの、あるいは意見まではいかなくとも数字以外のものは人によって変わるからだというのです。十冊……なかなか厳しいですよね。でも一冊だけ読んで鵜呑みにするのはいけないと、確かに前から思っていました。読書を楽しむためならば、もちろん一冊で十分。しかし知識として仕事で使う場合は、正確さと平等さが求められることが多いでしょう。それならたくさん読むに越したことはないんですよね。そういった場合、私は図書館に行ってずらっと本を借りてきます。選ぶポイントは内容はもちろんですが、初心者用から難しいものまでをバランスよくというのも大事です。いきなり難しい本は読めませんから、最初は概要的な簡単なものを、そこからだんだん専門的なものを読んでいくのです。学校の勉強と同じですね。時間はかかりますが、その方が絶対理解度も高く、頭に残ります。苦手分野は絵本からなんてこともあるんですよ。でもそのうち、文字のたくさん並ぶ本も読めるようになるんですよ。

本で作った本棚のある部屋

部屋の隅に本を積み上げているのが嫌になり、本で棚を作りました。あまり読まない本を柱にして、その上に板を置いて、即席の本棚です。積み木を積み上げたような状態ではありますが、これでただの山積みではなくなりました。見た目的にもちょっと棚っぽいし、きちんと整理ができる日まではこのままにしようと思います。昔、パズルみたいな本棚を見たことがあります。縦に横にと隙間なくきれいにぴっちり並べられた本。どうやったら中の一冊を抜けるのだろうと、考えてしまうレベルでした。収納は空間も必要、と片付けの本には書かれていますが、真逆の整理の仕方に、すいぶん感心したものです。基本的に自分の部屋や家など、他人に迷惑のかかる場所でないならば、空間をどんなふうに使っても問題ないと、私は思います。地震が起きたときに危ないですから、対策だけは気をつけなくては。考えることはその位ですね。そのせいで私の部屋はいま倉庫のようになっていますが、まあこれもご愛嬌。そのうちしっかり片付けますよ。本が多すぎるのがいけないのです。レンタル倉庫でも借りたいくらいですが、そうすると倉庫に入れている本は読まなくなるものらしいので、なんとか自室内で片付けます。

自分の中のイメージを形にできる、読み手にも書き手にも人気の高い夢小説はいかが?